2024年度2月園だより
春は名のみの風の寒さよ
園長 瀬口哲夫
「春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず」2月立春すぎの寒さの中で、鶯は声を立てずにじっと暖かくなる春を待っているという古い歌です。今、木々の枝をよく見ると枯れているように見えるけれど、春に花咲くための芽がついているのが分かります。すべてのものは人知れず、次のステップにすすむ準備をしているようです。
子どものチャンスを広げてあげたいと考える保護者の方々は、子どもには、みんなと仲よくし、明るく素直でかわいい子になってほしい、健康で元気に走り回れる子に育ってほしいと願っていらっしゃるようですが、それが出来る子もいれば、それに向いていない子もいるようです。 子どもが出来るか出来ないかではなく、"この部分は出来る""ここまでは出来ない""ここまではやってみようとしている""出来るけれど今はしたくない"といった子どもの気持ちを、表情やしぐさから受け止めて、"子どものしたいという意欲を受けて、今保育士がその子に必要な環境をつくり、お手伝いをするという営み"が保育です。子どもが出来るというステージに向かっていくには、その子の個性(身体、筋肉、操作性の特徴や独自のリズム)、意欲、経験のなかで蓄えてきた力、きっかけが必要です。~歳になれば、小学校になればこれだけは出来るようにという望みをカリキュラムに入れる保育園があります。親として、子どもが出来ないということが問題となるのは、出来ない子が馬鹿にされないように、いじめられないようにという親の恐怖感や、みんなにできることは自分の子もできなければという焦りがあるからです。また、子どもの力を伸ばすには適切な時期に新しい経験や物事に接する機会を親が提供することが重要だという考えが広まったせいでしょう。まきば保育園は、その子その子に与えられた良さがあり、育ちの過程やスピードが違うからこそ、その子の今に注目し、子どもの意欲を重視し、十分時間をかけて開花を待ちます。
子どもたちは人とのかかわりの中で「これがあたりまえ。こうしたほうがよい。」という自分のなかの基準を作っていくようです。「自分はそれをやった方がよい」という意識も出てくるのですが、今は出来ないけれどやろうという姿勢を持ち始めた子に対して、大人の口からでる無意識の言葉が子どもの心を傷つけ、意欲をそいでしまうことがあります。大人たちが、出来ないことを悪いこととしてしまわないように気を付けたいものです。「出来ない」というのは「出来るようになる」ことへのプロセスなのだと思います。「可哀そうに」「なんで出来ないの?」と、今できないことを嘆くのではなく、出来るようになることを楽しみにし、今できたことに喜びましょう。時を待つようにしましょう。
「慌てない」「焦らない」「諦めない」「時をじっくり待つ」それが私たちの大切な心構えです。