ひびきあう心

2019年6月
副園長 瀬口哲夫

 上野千鶴子さんの東京大学入学式の祝辞は、女性の立場からしか考えていないと批判する人もいて、様々な波紋を呼んだようです。「あなたたちの頑張りを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれない人々を賤しめるためではなく、そういう人々を助けるために使ってください。そして、強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。...フェミニズムは弱者が弱者のまま尊重されることを求める思想です。」弱者が弱者のままで尊重されることが当たり前の社会が実現されれば、"頑張ろうにも頑張れない人、頑張りすぎて心や体を壊す人""頑張る前から、所詮おまえなんか、どうせ私なんかと心をくじかれる人"が減ることでしょうと話されたのだと私は感じました。
 そんななか、上野さんの思いを吹き飛ばすような、登戸での殺傷事件が起きました。亡くなった通学途中の少女と家族、亡くなったお父さんとその家族の苦しみを考えると胸が痛みます。いったい私たちはどのようにすれば我が子を守り切れるのか。考えても、考えても、答えが出てきません。
 様々な境遇に出会い苦しんだ人間がこうした事件を起こすのかといえば、そうとは限らないようです。例えば、保護者のなかには、我が子が私よりもっと立派に、もっと幸せになってほしい。そのために良かれと思って、様々なことに挑戦させて育てている方がいらっしゃると思います。けれど、親が望むことと子ども自身が持っている力や発揮すべき時と場所が食い違った場合に、疲れ切ってイラつく子や自分はダメな人間だと塞ぎこむ子も出てきます。周囲にむやみに期待され、他者と比較され、評価され、弱点といわれる部分で辛い思いをしてきた子どもは、自尊心を傷つけられ、自分がなぜこんな目に合わなければならないのかという攻撃の刃を近親者や社会にぶつけるようになっていく傾向もあるようです。「社会に貢献できない者は評価に値しない」「この世界は競争であり、勝ち残った者が良い生活が出来、負けて取り残された者は貧しく、惨めな生活を送ることになる」という考え方が彼らをより追い詰めます。かといって、子どもたちの要求のすべてを受け入れて言うなりになってしまうことも出来ません。子どもにすべてを支配できる全能感を抱かせてしまい、思うようにいかないことだけが自分の中で際立ち、不満ばかりが残ってしまうからです。
 失敗を恐れる気持ち、将来に不安を持つ気持ちは誰にもありますが、出来ないことを人のせいにしたり、過去の出来事を理由に自分の力で幸せになることを放棄するのではなく、不安を乗り越え、失敗にめげずに人は生きていきたいものです。そのために必要なのは、"自分が好かれているという自信""自分には出来ることがあるという誇り"だと思います。子どもとの毎日を大切にし、笑顔に応え、さらに愚図りに付き合う。病気の時に手を握り、怪我をした時に抱きしめることが、子どもの人生に必要な心の土台を築く基になるのかもしれません。今回の事件の加害者は誰に愛されてきたのでしょうか。一部屋に籠って生きてきた加害者の心の闇。真実の追及はこれからのようです。